東日本大震災の発生から12年、犠牲者は1万5900人、未だ行方不明の方が2523人おられます。3月4日、宮城県「3.11メモリアルネットワーク」理事 藤間千尋さんをナビゲーターに、「女川1000年先の命を守る会」の鈴木智博さんのお話を聞く会をオンラインで開催し、85名の組合員・役職員が視聴しました。
▲「3.11メモリアルネットワーク」理事 藤間千尋さんと「女川1000年先の命を守る会」の鈴木智博さん
冒頭、宮城県「3.11メモリアルネットワーク」理事 藤間千尋さんから、最も犠牲者が多かった宮城県の被災状況についてお話しいただいた後、震災当時中学生だった鈴木さんのお話を聴きました。
女川町立女川中学校では、発災から僅か1か月後の2011年4月14日、中学校初めての社会科の授業で「ふるさと女川に何ができるか?」を話し合ったそうです。震災について、早くから大人も子どもも向き合わせた女川中学校の取り組みは大変珍しく、当時の子どもたちの様子について藤間さんからの質問がありました。「考えたくないという生徒、何も気づくことができない生徒、前向きに積極的に取り組む生徒・・・と様々でした」と鈴木さん。
その後、話し合いを重ね、11月24日社会科の公開授業で「私たちの考えた津波被害を最小限にする対策案」を宮城県内外の先生方に発表、3つの対策案が考え出されてから生徒たちの活動は、国内だけにとどまらず海外でも発表するなど広がりました。
鈴木さんたちは卒業後、「女川1000年先の命を守る会」を設立し、「女川いのちの石碑」の建立や、女川町以外の人々の命を守るための「女川いのちの教科書」づくり、語り部活動などに取り組んでいます。
鈴木さんは、「震災が起こる前にできることとして、特別なことでなく暮らしの中に落とし込めることがある。それは知識として学んでおくことと信頼づくり。避難しようという自分の声に耳を貸してもらえなかったことを悔やみ、次は『あいつが言うなら逃げてやろう』と思ってもらえるよう地域との信頼づくりをスタートした方がおられる。」と言います。
▲建設費用の1000万円は子どもたちで呼び掛けた募金によって賄ったそうです
また、当日は、2012年から親交をつないできた南三陸町切曾木仮設住宅にお住まいだったみなさんとも中継を結び、この度完成した自治会館の敷地への桜の植樹の様子を配信しました。
▲「震災は忘れたころにやってくると言うが、経験した私たちは決して忘れることはできない。防災マップを活用して、地域で意識を高めることが大事。まず命を守るための行動をしてほしい。」と阿部さん。(当時の切曾木仮設の自治会長)
コープしが 寺田常務は、2011年3月17日、コープしがからの第1便として支援物資を届けた一人です。「『緊急物資搬送中』の横断幕をトラックに付けて現地に着くと、親子連れが手を振ってくれた。出勤中のサラリーマンが深々とお辞儀をしてくださった。その時は、お届けするのに精一杯だったが、年を経るごとに印象深く思い出される。鈴木さんたちが私たちの命を守るために、辛い思い出を掘り起こし伝えてくださっていることに感謝する。次は私たちが、身近な人に伝えたい」と、結び終了しました。
参加組合員の声
・当時の貴重な体験談、想いを聞かせていただきありがとうございました。未来を見据えた活動をされていることが知れました。いのちの石碑、いのちの教科書、震災遺構、形に残るものがあるということで、より多くの人へ伝えられると思います。防災に対してできることとして、自分一人で考えるのではなく家族で話し合う、地域の人とのつながりを作ることから始めていきたいと思います。
・震災のお話や当時の写真を見て、当たり前に普通の生活ができている毎日がどんなに幸せなことなのか改めて感じることができました。実際に経験をしていない私にとって、その当時の本当の怖さは経験した人にしかわからないからこそ、体験した人の話を聞いて、自分ごとのように受け入れて忘れることがないように今後の課題に向けて行動していきたいと思いました。
※「女川1000年先の命を守る会」の活動について、詳しくはこちら
※「3.11メモリアルネットワーク」の活動について、詳しくはこちら
※この取り組みは、災害支援基金を活用しました