本文へ

ライフジャーナル
報告 NPT再検討会議 核兵器のない平和な世界をめざして

4月27日から5月22日まで、ニューヨーク国連本部で開催された
NPT(核不拡散条約)再検討会議。
NPTとは、核戦争の可能性を減らすため、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国の
5カ国以外の核保有を禁じる条約(医療や原発の平和利用は認められています)です。
1970年に発効され、現在、日本を含む191カ国が加盟しています。
5年に一度、その運用状況などを見直すための「NPT再検討会議」が
ニューヨークで開催されています。


NPT結果報告

 5月23日「NPT再検討会議、合意ないまま閉幕」のニュースが流れました。イスラエルの核の脅威に脅かされるアラブ諸国の悲願である、「中東の非核兵器地帯化」にアメリカ・イギリス・カナダが反対し、最終文書を拒否。最終文書は全会一致でしか採択できないことから、4週間に渡った再検討会議は具体的な合意を得られないまま閉幕しました。

被爆体験者が語る“原爆”

石川県原爆被災者
友の会事務局長 西本多美子さん

 1945年8月6日、広島はよく晴れてとても暑い日でした。家族は出かけていて、家の中にいたのはお母さんと4歳の私の二人だけでした。そこへ遠縁の男の人が訪ねて来られ、玄関先で少し話して帰られました。8時15分、「B29だ!」と、男の子が叫びました。戦時中ですから、アメリカの飛行機が飛んできたらサイレンが鳴るはずなのに不思議に思ってお母さんと二人で窓際に走って行くと、確かに飛行機が飛んでいるのです。これはおかしいと、とっさに窓際から2~3歩離れた瞬間に、ピカーッ! と、ものすごい閃光が走りました。カメラのフラッシュを一度に数千もたいたような銀白色の強烈な光でした。そしてあっという間に真っ黒になり、頭の上に瓦がガンガンと落ちて来ます。痛さと怖さで泣き叫ぶ私を、お母さんが押入れに引き入れ、身体全体で包み込むようにかばってくれました。

 しばらくすると静かになったので恐る恐る出てみると、家はめちゃめちゃに壊れて足の踏み場もありません。どの家も同じように壊れていて、辺り一面瓦礫の山です。そこへ小学校に出かけていた姉が後ろ首から血を流して、泣きながら帰ってきました。後頭部に木切れが刺さっていて、血がどんどん流れて背中が血で染められていました。

 お母さんは、4歳の私をおんぶして、泣きながら帰ってきた姉の手を引き、瓦礫を踏みしめ病院を探しましたが、通りかかった人が、姉の傷を見て「死にかけた人が長蛇の列で並んでいるから、行っても診てもらえるはずがない。」と言うので家に帰りました。そして母は、瓦礫の山の中から救急箱を探し、姉の後ろ首に刺さった木切れを抜いて、赤チンを塗りました。傷の手当はただそれだけでした。爆心地から2、3キロ地点での出来事です。私たち母娘は、命からがら郊外のぶどう畑に避難しました。父や姉兄もここへ逃げて来ました。ぶどう畑は被爆者でいっぱいでした。そこにむしろを敷いてもらって三日三晩、ぶどう畑で過ごしました。

イラスト/ コープしが組合員 桒原 孝江さん

 広島の街全体が火の海になっていました。爆風があらゆるものをなぎ倒し、3000度もの熱線が火災を引き起こしたのです。多くの人々が建物の下敷きになり生きながら焼き殺されました。屋外にいた人々は大けがや大やけどをし、火に追われて街を流れる7つの川に殺到しました。大勢の人々が力尽き、おぼれて死にました。7つの川は死体でいっぱいになりました。たった1発の原爆は、多くの市民を殺傷し、広島の街を地獄に変え消滅させたのです。

 近くに住む同い年のゆきちゃんは、家が倒壊して下敷きになったのですが、お姉さんが名前を叫んだ時に返事ができたから、瓦礫の中から助けられました。一緒にいたおばあさんは、いくら探しても見つかりませんでした。夏だから傷口が腐ってきます。何か臭いなと思って見たら、そこで亡くなっていたそうです。原爆が落とされる前、玄関先で話して帰られた男の人は、広島駅に向かう途中で亡くなりました。片方は生き残り、片方は亡くなり…こういうことが、あちらこちらであったのです。

 しばらくすると生き残った人々に、高熱、下痢、嘔吐、下血、脱毛などの症状が出始めました。私もぶどう畑で野宿している時に高熱、下痢、嘔吐と赤痢のような症状が出ました。これは原爆の放射線による急性症状だったのです。大勢の人が放射線の急性症状で苦しみ悶えて死んでいきました。こうして年末までに広島で約14万人、長崎で7万人の人たちが亡くなりました。


参加して

グリーンのTシャツが川村耕司さんと岡野早苗さん

今後、被爆者の方の実相を伝えたり、核兵器をなくしたりしていく活動は自分たちが引き継いでいかなければならないと感じました。アメリカでの原爆に対する受け止め方や環境は予想より大きく離れたものでした。核兵器をなくすことがどれほど難しいことなのかを知り、日本が世界に発信するために日本の関心度を身近なところから大きくしていきましょう。家族や仲間、子供の未来のように身近で大切なものを守りたいのは、みなさん同じ想いではないでしょうか。平和への願い、一人ひとりの想いが、重なり繋がっていって実現できるように活動の輪を広げていきましょう。【中央大津センター 川村耕司】

今回、核兵器を廃絶することの必要性とそのために力を尽くしている多くの人たちの存在を知りました。それらは思っていた以上で、核兵器廃絶への思いは私の心の中でが確かな芽となりました。と同時に、世界はその方向に進んでいないという現実も見聞きしました。みんなで平和の大切さを語り、私たちが守っていくのだと強く思わなければ、平和は脅かされる。一人でも多くの人に、核兵器の恐ろしさを知ってほしいと心から思います。今一度、広島・長崎の被爆者の証言や訴えに関心を持って聞いてみませんか?身近におられる戦争を体験された方のお話を聴いてみませんか?【組合員理事 岡野早苗】


コープしがは、NPT再検討会議に向けて生協代表2名を派遣し、日本被団協(※)や他生協からの参加者と共に、様々な活動を行いました。※日本被団協…日本原水爆被害者団体協議会

NPTについて知ろう

Q1 NPT再検討会議は、なぜ注目されているのでしょうか?

A 核兵器に関わる条約の中で、唯一保有国5 カ国すべてが参加する会議であり、ほかの非保有国が参加して意見が言える場所なのです。条約は、約束が守られているかをチェックするために5 年に一度開催されています。日本被団協や国際NGOなど世界都市の首長も様々な要請活動を行っています。その中で核兵器禁止条約の交渉開始を求めています。

Q2 5カ国以外に核兵器はないのでしょうか?

A インドやパキスタン、イスラエル、北朝鮮が核兵器を開発しているといわれています。(NPTは5カ国が核を独占するための不平等条約だといって、核兵器を保有しています。)

Q3 核兵器は現在、世界にどれだけ存在するのでしょうか?

A 全世界合計で1万7300発ほどあるといわれています(そのうち数千発は、いつでも発射できる状態です)。

Q4 私たちにできることは何があるでしょうか?考えてみてください…

ページトップへ